古遠部温泉から宿の車で駅まで送ってもらおうと思っていたのですが、どうせ今晩の宿の日景温泉には夕方までにつけばいいので近くにある碇ケ関の関所に行ってみたい、と話したところ、「つまらないですよ〜、それよりも碇ケ関駅のそばにある道の駅まで送ってあげますよ。いろいろ見るとこもありますよ」とご主人がしきりに「ツマラナイ、」と言うので「じゃ〜そうしようかな」と思ったりもしましたが、やはり一度見に行ってみることにしました。雨はそれほど強くはないですが小雨が一日続きそうなカンジでした。着いて見るとやはり小さな建物が2つあるだけの狭い場所でした。
箱根のような幕府の関所のようではなく物資、人の移動に税金をかけて津軽藩の資金源としていた様です。当時は上の番所(峠の番所)、中の番所(折橋の番所)、碇ケ関の大番所の3重になっていて、ここは昭和59年に中の番所の場所に復元されたものです。建物は2つあって、1つは上番所、下番所、女改めの部屋、展示室、土間などに区分されたもの、もう一つは足軽番所ですが、こちらは中は食堂とおみやげ物屋さんになっています。 |

↑当時の関所の模型 |
【碇ケ関御関所】
津軽藩為信公が天正14年(1586年)に秋田比内の浅利氏を攻め大浦城に帰陣する時に当地に関所を設けた。2代藩主信枚公が城長根に遠見番所を作り4代藩主信政公になると町割を行い関所および御本陣を移転新築し明治4年まで続くのである。街道の要所には番所を作り城下町の様に枡形や辻隠を作り関所と御仮屋(御本陣)には城門を建てて警戒した。貞享2年(1685年)関所が落成した時に藩主が日本三大関所で一番であると喜び後年幕府の巡検使に随行した古川古松軒の東遊雑記に「厳重なること箱根の関所も及ばない」と記している。なお、犯罪人を町外れ(弘前側)で磔や斬首する場所でもあった。 |

↑上番所 旅人が取調べを受けています |

↑下番所と女改めの部屋 |

↑展示室 |
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←JR津軽湯の沢駅
↑待合室で佇む謎のヒト |
ほどなく見終わってしまい、食堂でコーヒーでも飲んでいたら雨も少し強くなってきました。「あ〜やっぱ宿の人の言う通りにすればよかったかな」などと思っていました。時間はまだ昼前です。宿となる日景温泉の方には隣の駅の陣場駅に夕方迎えに来てもらうことになっていますが、雨だし見るものも他になさそうなのでとりあえず歩いて10分程の津軽湯の沢駅まで行って見ましたが、無人の駅の周りには何もありません。仕方なくやってきた電車に乗って隣の陣場駅まで行ってみることにしました。 |
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