天 北 線 非電化 1067㎜ ※当時
音威子府~南稚内 148.9km
訪問日:1989/2/11
     樺太への連絡線として稚内に至る当初のルートとして1922年に開業した。第2次特定地方交通線に指定されたものの長大路線の冬季輸送に問題があるとして廃止が保留された状態が続いていました。'85年についに'89年5月で廃止されることが決定され、他の廃止路線と共に訪問することにしました。
 真冬の北海道の初めての訪問場所では撮影場所を探すのも苦労しました。記憶に残っているのはやはり寒さと雪の多さでした。そして只々広い大地。列車を待っている時間「どうしてこんなところに鉄道が?」と思うほど、辺りに人の気配もなく、刺すような寒気に耐えていた気がします。
 天北線は営業キロ数も長く、しかも廃止時点で急行列車の運行がありました。果たして当時の事情は分かりませんし、十分検討されたのでしょうが、優等列車の走るような路線をもう少し何とかできなかったのでしょうかね。それは、廃止前のダイヤの組方であり、もう一つは廃止後の身の振り方という意味です。
 結局この時1回限りの訪問だったこともあり、雪ばかり多いという印象が強かったのですが、もう少し気候の良い時期にのんびり時間をかけて訪れてみたかったものです。
 
311レ急行利尻 DD51 1092  音威子府   1989/2/11
時刻は夜中の3時過ぎ こちらは宗谷本線経由で稚内を目指します。
 
 
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Ⅰ 音威子府~下頓別~鬼志別
札幌からB寝台連結の急行利尻の座席車に乗り込んだようです。深夜の音威子府で下車(3:12)して始発の天北線を待ちます。始発の721Dは4:47発です。下頓別で下車したと思います。
 撮影場所を探してウロウロするものの雪に阻まれて思うように移動ができません。何だか今一つの場所でどれも妥協していたようです。
 何本か撮影した後、新弥生臨時乗降場から稚内行725Dに乗り込みました。(11:52)途中、浜頓別で724Dと交換鬼志別に13時頃到着しました。

723D稚内行  新弥生~下頓別  1989/2/11
キハ40 107他がやってきました。 ※この色の枠はスライドショーにしてます
 
     
722D音威子府行    新弥生~下頓別         1989/2/11
雪しか写ってませんね。
 
 
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  2. caption02


740D音威子府行  新弥生~下頓別     1989/2/11
鉄橋を見つけたので連写しましたが、もう少し何とかならなかったのかな。
   
725D稚内行       新弥生   1989/2/11
簡素な乗降場にキハ40 241+155が到着です。
725D(左) 724D キハ40 101(右) 浜頓別   1989/2/11
音威子府行724Dが待っていました。
 
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  2. caption02
 
304D 急行天北 札幌行と交換  鬼志別   1989/2/11
先頭はキハ400でなくキハ56?27?(125)です。
304D急行天北を見送ります。   鬼志別    1989/2/11
キハ400 142他5連

     
725D 稚内行 キハ40 241        鬼志別   1989/2/11

 
 
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  2. caption02
   

 鬼志別にて

鬼志別では304D急行天北との列車交換です。列車の窓から撮影しようとすると先頭はキハ56系でした。天北は客レから新型キハに置き換えられていましたが、車両が足りないときはそうした車両が使用されていたようです。5両編成の立派な姿を見送った後、乗って来た725Dを見送り(13:20)再び撮影場所を探して雪の中をさまよいます。この日の天気は良かったのですが、下りの天北を撮ったころには大分暗くなってきました。この場所でもあまり天北線らしい場所を見つけられないまま最初で最後の天北線を後にしました。

 
725D 稚内行 キハ40 155    鬼志別   1989/2/11
続いて725Dの発車を見送ります。
 
 
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726D音威子府行        鬼志別~小石        1989/2/11
キハ40 232+244です。振り向きざまにもう1枚。
 
   
727D稚内行       鬼志別~小石  1989/2/11
キハ40 108他2連
303D急行天北 稚内行     鬼志別~小石   1989/2/11
キハ400 144他5連 薄暗くなってきた中、雪煙をあげてやってきました。
   
[参考文献]

○ウィキペディア 天北線